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| 西 暦 | 元号 | 将 軍 | 麻布の歴史 |
日本の歴史 |
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| 1600 | 慶長5 | 関ヶ原合戦の前哨戦岐阜城攻めで諸将が討ち取った首を徳川家康が江戸城で首実験後、麻布ヶ原に埋葬 「慶長五年八月二十八日岐阜より使節参着して、再び尺素を献じ、首級をささぐ。其の員数福島左衛門大夫四百三十、池田三右衛門四百九十、淺野左京大夫三百 八−−中略−−を大桶に入れて到着す。家康即ち実験し浅布の原に首塚を築き之を埋め、増上寺源誉玉藏院忠義に命じ供養せしむ」 |
関ケ原の戦い |
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| 1602 | 慶長7 | 桜田、霞ヶ関の民家を虎ノ門付近に移す 善福寺尭海が火災にあったとして本尊の再下付を請けた。「木仏之留」 |
伝通院於大の方が伏見城で病没。75歳(誕生:享禄1(1528))。家康の生母 徳川家康が従一位となる |
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| 1603 | 慶長8 | 家康 | 家康が征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開く |
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| 1604 | 慶長9 | 新橋架橋 |
徳川家光が誕生する。幼名は家康と同じ竹千代。乳母には後の春日の局のお福が選ばれる | |
| 1605 | 慶長10 | 秀忠 | 辞任した家康に代わって、徳川秀忠が征夷大将軍に任じられる |
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| 1606 | 慶長11 | 溜池に堤完成 |
江戸城本丸殿舎が完成。秀忠が移る |
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| 1607 | 慶長12 | 加藤清正が熊本城を築く |
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| 1611 | 慶長16 | 加藤清正没 |
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| 1614 | 慶長19 | 家康が方広寺の落慶供養目前に鐘銘に異議を唱える 大阪冬の陣 |
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| 1615 | 元和1 | 一国一城令の発布 大阪夏の陣 |
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| 1616 | 元和2 | 札の辻に芝口高札場を設置 |
徳川家康没 |
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| 1620 | 元和6 | ウイリアム・アダムス(三浦按針)没 遣欧使節支倉常長が帰国 |
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| 1622 | 元和8 | 幕府が長崎で宣教師、キリシタン55名を処刑 江戸城本丸が完成。将軍秀忠が移る |
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| 1623 | 元和9 | 家光 | 10月13日 芝で原主人らキリシタン火刑 |
家康の孫で越前国北庄城主松平忠直が不行跡のため改易、豊後国へ流刑となる 徳川秀忠が上洛のため江戸を出発する 徳川家光が上洛のため江戸を出発する |
| 1624 | 寛永1 | 本光寺、麻布今井村で開基、霞山稲荷(桜田神社)桜田町に移転 |
福島正則元広島藩主が配所の高井野で没 北政所(ねね)が京都東山の高台寺で没 |
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| 1626 | 寛永3 | 10月18日 二代将軍秀忠夫人お江与の方(崇源院殿)が9月15日江戸城で死亡し逝去し、寛永3年(1626年)10月18日「我善坊」にもうけられた荼毘所でにて荼毘に附し増上寺に埋葬 |
幕府が松平忠輝を飛騨国の配所から信濃に移す 家光が宮中に参内する。秀忠は太政大臣、家光は左大臣となる |
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| 1627 | 寛永4 | 富士山が噴火し、江戸にも火山灰が降る | 幕府が僧侶の諸出世法度を定める | |
| 1628 | 寛永5 | 8月10日江戸で大地震があり、江戸城石垣が破損する 9月 一松山大乗院長伝寺が林哲により開基 |
徳川光圀(水戸黄門)となる長丸が水戸に誕生 大久保忠隣没 |
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| 1629 | 寛永6 | キリシタン摘発の為の絵踏みが長崎で始まる 幕府が、紫衣法度に背いた大徳寺の沢庵宗彭(そうほう)らを流刑に処すことを決める。沢庵は出羽の上ノ山(山形県上山市)へ流されるが、世間は沢庵に同情的。沢庵に味方した天海の人気が高まる |
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| 1630 | 寛永7 | 4月22日 善福寺門前より出火、新堀端まで延焼 |
藤堂高虎没 |
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| 1632 | 寛永9 | 宇田川辺りを鷹場に指定 |
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| 1635 | 寛永12 | 賢崇寺、肥前藩主、鍋島勝茂により建立、八丁堀の寺院、三田に移転 |
第3次鎖国令 武家諸法度を制定。諸大名に参勤交代を義務づける |
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| 1636 | 寛永13 | 6月1日 芝網縄手に新銭座設置 |
第4次鎖国令 伊達正宗没 長崎の出島が完成する |
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| 1637 | 寛永14 | 本阿弥光悦没 幕府が五人組制度を強化する 島原の乱 |
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| 1638 | 寛永15 | 12月3日 芝でキリシタン斬首、溺刑 家光が麻布御薬園を現在の麻布光林寺の付近に、大塚御薬園を現在の音羽護国寺の位置に開設した |
島原の乱終わる |
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| 1639 | 寛永16 | 5月20日 将軍家光、麻布で石火矢を試射する 6月21日 家光麻布で石火矢試射−1639年(寛永16年) 実際には幕府側の検使として、病床の家光の名代で前老中の堀田加賀守正盛、老中阿部對馬守重次・牧野内匠守信成、目付兼松彌五衛門正直、鉄砲方井上外記正継ら幕府の主だった要人が参加し、オランダ側は4月から江戸に参府していた平戸商館長フランソワ・カロンと商館員たちが参加 |
大久保彦左衛門忠教、80歳で没 柳生友矩が急死 江戸城本丸が大奥台所から出火して全焼する |
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| 1640 | 寛永17 | 芝居町出火、柴井町と改称 |
江戸城本丸が完成し、家光が西丸から移る |
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| 1641 | 寛永18 | 家光、麻布で鷹狩 | 1月29日 桶町の大火 |
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| 1642 | 寛永19 | 家光、麻布薬園にて馬を駆る | 寛永の大飢饉 |
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| 1643 | 寛永20 | 俵屋宗達没 春日局没 |
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| 1644 | 正保1 | 2月16日 老中・幕閣らが大名の邸地用地を求めて麻布辺を巡察 2月33日 将軍家光、青山宿より麻布薬園にお成り。御膳所で御徒頭能勢市十郎を呼び、狸穴にある「麻布のむじなの穴」を調べさせた |
幕府が秋田藩に江戸城赤坂周辺の堀さらいを命じる 土井利勝、没。72歳 |
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| 1645 | 正保2 | 芝明神で江戸最初の宮芝居を上演 7月26日 主家に放火の上、十一人を鑓で突き殺して逐電した家臣の六右衛門が麻布で自害しきれず、捕らえられて、磔刑になる。 |
宮本武蔵没 沢庵没 天秀尼、没。37歳(誕生:慶長14(1609))。豊臣秀頼の娘で東慶寺の住持 宮本武蔵、没 池田輝興に代って浅野長直(36)が赤穂藩主となる |
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| 1646 | 正保3 | 5月21日薩摩藩の島津光久が犬追物を再興する | 細川忠興没 沢庵宗彭、没 犬将軍となる徳松丸(徳川綱吉)が家光の第4子として誕生 柳生宗矩、没 |
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| 1647 | 正保4 | 3月18日 家光、浅草を視察のため城を出たが、浅草観音の縁日である事を聞き、庶民の遊楽を妨げぬよう麻布に行き先を変更する 4月29日 家光、麻布で鷹狩。 5月13日江戸に大地震が起り、江戸城石垣・大名屋敷などが倒壊する |
後光明天皇の弟守澄法親王が日光輪王寺門跡となり、江戸に向かう(輪王寺門跡の始め) 酒井忠勝が江戸で没 |
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| 1650 | 慶安3 | 2月11日 安部豊後守下屋敷から出火、民家二丁を焼く |
幕府が江戸城西丸の造営を開始する 柳生三厳(十兵衛)没 徳川義直没 |
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| 1651 | 慶安4 | 家綱 | 由井正雪の幕府転覆の陰謀発覚。(慶安事件) 徳川家光、没。48歳 左甚五郎、没 |
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| 1654 | 承応3 | 玉川上水が完成 |
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| 1656 | 明暦2 | 2月7日 有栖川公園の地は元は常陸笠間藩浅野家<1645年(正保2年)、常陸笠間藩から 播州赤穂藩に転封>の藩邸であったが、1656年(明暦2年)相対替(等価交換)により陸奥盛岡藩南部家の屋敷となる。浅野家屋敷は赤坂に移った。 |
江戸で大火があり、48町が焼失する 大老酒井忠勝が高齢のため辞任 |
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| 1657 | 明暦3 | 1月18日 麻布百姓町の質屋遠州屋彦右衛門の亡き娘・梅乃の振袖を供養する火が燃え移り大火に。火元は本郷の本妙寺。死者108,000名の大火事
明暦の大火(振袖火事) ・江戸城本丸焼失。麻布被害は不明 5月14日 仙台藩伊達家麻布に邸地拝領 |
明暦の大火・振り袖火事 江戸城本丸の造営が始る 徳川光圀が神田別邸に史局を置いて大日本史の編纂を始める |
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| 1658 | 万治1 | 2月11日 小見川(千葉県香取郡小見川町)藩主内田氏が内田山に上屋敷を拝領 |
江戸・本郷吉祥寺辺より出火し、駿河台・鎌倉河岸から本町・日本橋・京橋・新橋、さらに霊厳島・八丁堀・馬喰町に延焼する。 江戸城本丸の石垣普請が始まる 幕府が、初めて定火消役を設置する 真田信之没 |
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| 1659 | 万治2 | 麻布氷川社、移転され跡地は増上寺隠居所となる |
隠元隆g(りゅうき)が氏に万福寺を創建 大雨による洪水で、深川・両国の橋が多く流出 江戸上野で初の「消防出初め式」が行われる |
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| 1660 | 万治3 | 青山上水完成 江戸に大火が起る 7月30日幕府が仙台藩主伊達綱宗に不行跡を理由に逼塞を命じる(伊達騒動の始り) 8月25日徳川家綱が伊達騒動を裁断し、伊達綱村に襲封を命じる |
両国橋が完成 高尾太夫(吉原三浦屋)が病死 |
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| 1661 | 寛文1 | 竜沢寺、飯倉片町より麻布宮村町へ移転 渡辺大隅守綱貞が南町奉行となる 9月 三田稲荷、甲府宰相三田屋敷内に勧請 |
幕府が、大目付に江戸図の改定を命じる 五郎八姫、没。68歳 徳川頼房、没 幕府が、徳川綱重を甲府に、徳川綱吉を館林に封じる |
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| 1664 | 寛文4 | 11月 三田上水完成 3月27日水野十郎左衛門が切腹を命じられる。52歳 |
雲仙岳が大噴火する 米沢藩主上杉綱勝が、妹富子の嫁ぎ先の吉良家に招かれて饗応を受ける。その帰途、駕篭の中で腹痛を訴え、後日死亡。吉良毒殺説が流れる |
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| 1666 | 寛文6 | 11月28日 (南部邸)十一月二十八日重信公御代、江戸御下屋鋪火事出来、御長屋土蔵ばかり残る |
越後に大地震が起る 千姫、没。70歳 幕府が老中酒井忠清を大老とする。屋敷が大手門下馬札前にあることから仇名が「下馬将軍」 |
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| 1667 | 寛文7 | 古川新堀工事 三の橋〜一の橋〜金杉橋は支流であったもの(芝区史)を、1667年(寛文7年)に幕府に岡山、鳥取の両藩が命じられる |
赤穂藩主となる浅野長矩が江戸本邸に誕生 幕府が江戸市中の門松を禁止する 幕府が諸国に巡見使を派遣する |
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| 1668 | 寛文8 | 2月4日 鮫が橋より出火、赤坂より日ヶ窪に飛び火して三田・高輪まで焼失 |
牛込ほか2ヵ所から出火し、武家屋敷2407、寺36、町屋132町、農家170を焼く 家綱が家門・諸大名に奢侈を戒める 幕府が寺院の新築を禁じる |
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| 1669 | 寛文9 | 蝦夷でアイヌ人が蜂起(シャクシャインの乱) |
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| 1671 | 寛文11 | 榎坂の冨永金左衛門の化け物退治 原田甲斐が伊達安芸に斬り付け、安芸は即死、原田は周囲に斬られて死亡する 伊達騒動の裁断の結果、幕府は伊達宗勝を土佐国に配流し伊達綱村の罪を免じる 江戸が大水となる |
徳川頼宣、没 幕府が不良幕臣の牧野正昌を処罰する 幕府が商人の前髪を禁じ、切らせる 京都が大火になる |
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| 1672 | 寛文12 | 土器町四辻、金杉橋に下馬札、永坂付近で文七元結が作られる |
徳川光圀が彰考館(文庫)を開設 元宇都宮藩士奥平源八が父の仇奥平隼人を討つ(浄瑠璃坂の仇討ち) 幕府が外国航路とキリスト教を禁制する |
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| 1673 | 延宝1 | 保科正之が三田の藩邸で没 | 明から帰化した僧隠元隆g没 岩国の錦帯橋完成 |
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| 1675 | 延宝3 | 森元町の局見世が取り払われる。 古川改修工事で麻布十番に堀留が作られる |
浅野内匠頭長矩が赤穂藩主となる 家光の25回忌が寛永寺で行われ、将軍家綱・初大名・旗本らが参詣する 代官伊奈忠易が小笠原諸島を探検して帰国し、珍しい動物や植物を幕府に献上する |
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| 1678 | 延宝6 | 狸穴に甲府宰相徳川綱重の屋敷ができる(4月)。これに伴い附近の光隆寺、千蔵寺、本光寺、安全寺などが幕命により麻布宮村に移転する 安井算哲(渋川春海)が麻布の自宅で秋分点を観測(7月16日) 8月17日江戸が30年来の大地震に襲われる 幕府が甲府の徳川綱豊の老臣新見正信を蟄居させる |
江戸増上寺の修造ができる 幕府が過失による出火の罪を加重し、失火者を斬罪、名主五人組を入牢とすることを定める |
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| 1680 | 延宝8 | 綱吉 | 5月19日 お竹如来のお竹が亡くなる 6月24日増上寺で営まれた綱家法要式典にて内藤和泉守が突然永井信濃守に斬りつけ殺害した 9月6日 芝に高潮 |
酒井忠清らが徳川家以外の朝廷から次期将軍を迎えることを提案し、決まりかけるが、堀田正俊らが反対して廃案となる。 館林藩主徳川綱吉が将軍家綱の嗣子となり、綱吉の子徳松が館林藩を継ぐ 家綱、没。40歳 堀田正信が自害する。50歳 |
| 1681 | 天和1 | 芝牛町に下馬杭 渡辺大隅守将軍継嗣問題で失脚、八丈島に遠島処分となるが自害 (越後騒動の裁断不正を理由に八丈島に配流されたとも) 12月28日 川田が窪より出火、四谷・赤坂・麻布・三田を焼く |
幕府が「下馬将軍」の大老酒井忠清を罷免する。綱吉擁立反対が仇に 酒井忠清、没。58歳 越後騒動の越後高田城主松平光長が改易 |
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| 1682 | 天和2 | 井原西鶴の好色一代男が刊行される 駒込大円寺から出火。(お七火事) |
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| 1684 | 貞享1 | 朝廷が日本人の手による最初の暦、貞享暦を採用 |
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| 1685 | 貞享2 | 芝と三田で区域内初の開帳 |
後西天皇、没 49歳 | |
| 1687 | 貞享4 | 幕府が生類憐みの令を出す |
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| 1689 | 元禄2 | 松尾芭蕉が陸奥へ旅立つ(奥の細道の旅) |
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| 1692 | 元禄5 | 奈良・東大寺の大仏開眼供養 |
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| 1693 | 元禄6 | 井原西鶴没 |
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| 1694 | 元禄7 | 12月15日 麻布今井谷の海野土佐守の屋敷の表長屋8軒が焼失 |
葵祭が再会される 松尾芭蕉没 |
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| 1695 | 元禄8 | 円空没 |
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| 1696 | 元禄9 | 嵐山に渡月橋完成 |
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| 1698 | 元禄11 | ) 4月14日白金御殿( 麻布御殿)落成 元禄10年に白金御殿が竣工され、御殿の造営に伴って古川の川幅拡張、掘り下げの改修工事も芝新堀から四の橋区間で行われました。造営で建材を運び込んだ時、その労働に従事していた人々を1番組から十番組までに分け、一ノ橋のところを受け持ったのが十番組だったということで、麻布十番と呼ぶようになった 御殿内の富士見稲荷で怪異 |
寛永寺根本中堂の造営工事で紀伊國屋文左衛門が50万両以上の利益を得る。 儒学蘭学の青木昆陽、誕生 柳沢保明が老中上座になる 寛永寺根本中堂が竣工 |
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| 1699 | 元禄12 | 3月27日 (南部邸)行信公御代御下屋鋪焼失 麻布山善福寺の寺領が新堀御用地となったので、荏原郡六郷領女塚村(現在の大田区西蒲田あたり)に替地となる 幕府が絵師多賀朝湖(英一蝶)(47)を伊豆三宅島に流す 11月22日関東一円の大震災が起こる |
幕府が江戸城大奥に倹約令を出す | |
| 1700 | 元禄13 | 徳川光圀没 奥平忠弘、没。70歳 将軍綱吉が8年間240回に及ぶ「易経」の講義を終える |
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| 1701 | 元禄14 | 江戸で異常低温が続き大雨が襲う 浅野内匠頭長矩、田村右京太夫邸(新橋田村町)で切腹(3/14)、美作津山藩主、松平越後守の家来槍持ち勘助、切腹(3/30) 9月3日 綱吉の実母本庄氏お玉(桂昌院殿)、宮村町増上寺隠居所を訪問 |
桂昌院が従一位に叙せられる。臣下としては最高位 赤穂藩主浅野長矩が江戸城内で刃傷沙汰におよぶ 吉良上野介義央が高家肝煎を辞する 吉良上野介が隠居を願い出る 綱吉が柳沢保明に「松平」の姓と「吉」の1字を与える破格の優遇をする。以後、柳沢保明は松平美濃守吉保と名乗る。 |
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| 1702 | 元禄15 | 2月11日 辰下刻(午前九時頃)に内藤宿(新宿区)より出火、北風烈しく青山宿(港区・以下同じ)・百人町・麻布・弐本榎・三田・芝・品川(品川区・以下同じ)・鈴ケ森まで焼失、酉刻(夕刻・六時頃)に火鎮み申すよし
麻布御殿焼失、南部邸焼失 5月2日 綱吉、宮村町増上寺隠居所を訪問 12月14日 赤穂浪士討ち入り後、泉岳寺に墓参、四大名邸に収容 12月15日 討ち入りを果した赤穂浪士岡島八十右衛門以下10名が麻布日ケ窪毛利甲斐守邸に預けられる |
赤穂浪士が吉良上野介を討つ |
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| 1703 | 元禄16 | 表絵師、麻布一本松狩野家が始まる 2月4日 赤穂浪士切腹(2/4)墓は泉岳寺へ、このころ高輪に茶屋現れる 3月 大火により麻布、赤坂辺焼亡 9月8日桂昌院殿、宮村町増上寺隠居所を訪問 10月18日 綱吉、宮村町増上寺隠居所を訪問 11月23日関東地方に元禄大地震。マグニチュード8.2。死者2300以上 11月29日元禄の大火(水戸様火事) |
幕府が赤穂浪士に切腹を命じる 吉良義周が知行を没収されて、信濃高島の諏訪阿芸守忠虎に預けられる 11月23日 元禄大地震 |
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| 1704 | 宝永1 | 二世 市川団十郎が襲名。のちに「白菊か夜は麻布の黄が知れぬ」とよむ | 浅間山が噴火する 富士山鳴動 初代・市川團十郎が楽屋で役者の生島半六に刺し殺される |
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| 1707 | 宝永4 | 三田稲荷再建 1月29日 麻布内藤都主殿頭邸から出火一本松辺家具焼亡、鍋島岩松邸にて鎮火 |
富士山大噴火 10月4日 宝永大地震 11月23日 富士山大噴火 |
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| 1709 | 宝永6 | 家宣 | 将軍綱吉没 幕府が生類憐みの令を廃止 |
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| 1710 | 宝永7 | 車町に大木戸建設、高札場を移す、芝口門を銀座に移転 |
綱吉死去により大赦令 | |
| 1713 | 正徳3 | 家継 | 麻布近辺の村々が代官支配より町方の支配下へ |
家継が、5歳で第7代征夷大将軍に就任 貝原益軒の養生訓刊行 |
| 1714 | 正徳4 | 増上寺第三十六世住職祐天上人が将軍家継の許可を得て隠居。増上寺麻布一本松禅堂に移る。 | 貝原益軒没 絵島生島事件 柳沢吉保、没。57歳 |
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| 1716 | 享保1 | 吉宗 | 品川宿に助郷組合を定める 1月20日 麻布権太原の松平権之助の屋敷から出火 4月 長玄寺、宮村町(4月)に移転(1654年5/27山本勘助の孫、喜助により市ヶ谷に開基) |
紀州藩主吉宗が将軍家を継ぐ 尾形光琳没家継、病没。8歳8代将軍職に吉宗 |
| 1717 | 享保2 | 普請奉行大岡忠相が江戸南奉行に抜擢され、官職名を越前守と改める | ||
| 1718 | 享保3 | 祐天上人麻布龍土にて死去 | 幕府が鷹匠目付けを創置する | |
| 1719 | 享保4 | 長州藩が藩校明倫館を萩に開校 幕府が火付・盗賊・賭博改めの職を統合する |
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| 1721 | 享保6 | 1月28日 善福寺門前より出火、愛宕下まで延焼 2月7日 四谷中殿町より出火、赤坂今井、麻布、六本木辺まで焼く 港区史 2月9日 四谷忍町より出火、左門町・赤坂・麻布谷町・狸穴・芝まで延焼 |
幕府が評定所門前に目安箱を設置江戸小石川御殿跡に薬園ができる |
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| 1722 | 享保7 | 1月9日 (南部邸)下御屋鋪御長屋之内真木小屋より出火、早速火鎮。 9月 千川、青山、三田上水を廃止 |
吉宗が大坂城代安藤重行を老中に任命 老中の水野忠之を勝手掛老中に任命 小石川薬園内に養生所が開設 |
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| 1723 | 享保8 | 2月16日 赤坂より出火、麻布飯倉、三田、白金を焼く 9月 芝にあった馬場を麻布十番に移転、近隣者が十番袴を考案。赤坂、麻布、三田、赤羽橋付近の10ヶ所に植溜地が設置される |
松平乗邑が老中に昇進 吉宗が、オランダ人に大型の馬の輸入を命じる |
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| 1724 | 享保9 | 千蔵寺 麻布宮村町稲荷社別当となることを寺社帳に登録する(広尾稲荷神社) 英一蝶、没。73歳 |
吉宗が、甲府の柳沢吉里を大和郡山に転封 |
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| 1725 | 享保10 | 2月14日青山久保町から出火し、金杉まで延焼 2月18日 麻布鳥居坂より出火、延焼品川まで。焼死けが人多し |
新井白石没 近松門左衛門、没 江戸城本丸の大廊下で松本藩主の水野忠恒が毛利師就に斬りつけ刃傷 |
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| 1729 | 享保14 | 3月13日 霞町の下屋敷から出火、青山赤坂に及ぶ |
天一坊事件 吉宗が、唐の僧鄭大威から献上された象を観覧 将軍養女の竹姫と島津継豊の婚約が成立 |
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| 1730 | 享保15 | 江戸薩摩藩邸で、藩主島津継豊と綱吉の養女竹姫の婚礼 | 堂島に米の先物市場開設 初代・松本幸四郎、没 |
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| 1731 | 享保16 | 3月17日 芝森元町より出火、麻布辺におよぶ 6月26日 (南部邸)麻布御屋鋪南の方表長屋より出火、火元村岡丹治 早速消し留め |
松平通春が、江戸城に登って将軍吉宗に拝謁する。吉宗は宗春の名前を与える | |
| 1732 | 享保17 | 亨保の飢饉 尾張藩主徳川宗春が倹約令違反により謹責 |
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| 1733 | 享保18 | 江戸で最初の打ちこわし事件 画家・円山応挙誕生 初の両国川開きが行われる 浅間山が大噴火する |
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| 1734 | 享保19 | 2月28日 麻布の植村刑部太夫屋敷から出火一町ほど焼く |
下総行徳の浜に鯨2頭が漂着し、江戸両国橋近くの広場で見せ物に 紀伊國屋文左衛門、没 |
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| 1735 | 享保20 | 10月6日 麻布真田信玄邸から出火、三田方面まで延焼 |
幕府が、大名・旗本の遊里出入りを禁じる 幕府が諸士の米脇売りを禁制する |
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| 1741 | 寛保1 | 2月 東町にあった鷹石が鈴が森八幡に奉納される(2月) |
吉宗が、孫の竹千代に家治の名を与える 絵島が流罪先の信州伊那の高遠で没 |
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| 1743 | 寛保3 | 松本山徳正寺、麻布に移転 |
尾形乾山没 幕府が、火事装束の華美を禁止する |
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| 1744 | 延享1 | 8月19日 芝浦に津波、芝西応寺の大木か倒れ死者が出る。 |
田安宗武の小姓頭須田一学の弟の須田留之助が徳川家重に呪いをかけて調伏を図ったとして反逆の罪で斬首刑 | |
| 1745 | 延享2 | 家重 | 2月12日 (南部邸)麻布御下屋鋪御長屋通り御類焼 御土蔵十二の内五つ焼失す。六道火事。青山六道の辻より出火、麻布・芝・品川に延焼 麻布氷川神社焼失 |
徳川吉宗が隠居、徳川家重が家督を相続 |
| 1746 | 延享3 | 加賀藩が大槻伝蔵を蟄居とする(加賀騒動) 幕府が神田佐久間町に天文台を設ける |
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| 1747 | 延享4 | 7月20日 麻布市兵衛町に火災 10月6日 寺坂吉右衛門83歳で逝去−墓は曹渓寺 |
日本左衛門が刑死 江戸城二の丸が焼失 幕府が青木昆陽を評定所儒者とする |
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| 1751 | 宝暦1 | 7月20日 上杉鷹山は、高鍋藩三万石の6代目藩主、秋月種美と正室である秋月藩黒田長貞の娘春姫の次男として麻布一本松邸(現麻布高校)に生まれ幼名を「松三郎」その後「直松」と称し、10歳で上杉家の養子となるまでを一本松邸で過ごしたといわれる |
徳川吉宗没 大岡忠相が病気により寺社奉行職を辞任 |
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| 1754 | 宝暦4 | 幕府が貞享暦を廃し、宝暦甲戌暦を翌年より使うことを決める 久留米騒動 |
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| 1756 | 宝暦6 | 2月23日 昼前に青山より出火、麻布・三田辺まで焼失 |
宝暦の飢饉 |
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| 1758 | 宝暦8 | 京都所司代が竹内式部を捕らえる(宝暦事件) |
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| 1760 | 宝暦10 | 家治 | 2月4日 赤坂より出火、六本木・十番・日ヶ窪から田町を焼き品川にいたる 2月5日 麻布狸穴から出火亥の中刻鎮火 |
幕府が人家付近での花火を禁止 葛飾北斎となる中島時太郎(鉄蔵)が江戸本所の割下水に誕生 |
| 1761 | 宝暦11 | 2月4日 麻布市兵衛町から出火 松下君岳が親鸞の五百回忌が京都の西本願寺でとりおこなわれた際、詐欺を働いた容疑をかけられる |
徳川家重、没。51歳 |
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| 1762 | 宝暦12 | 2月20日 日ヶ窪より出火、赤羽橋まで延焼 |
幕府は、農民が目安箱によらず門訴することを禁止 | |
| 1765 | 明和2 | 10月9日 麻布永坂で火事 10月12日 麻布で火事 |
幕府が、新しく五匁銀を発行 | |
| 1767 | 明和4 | 幕府が、尊王論者山県大弐を死罪、竹内式部を流刑にする |
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| 1768 | 明和5 | 上田秋成が雨月物語を完成 禅僧白隠慧鶴没 |
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| 1769 | 明和6 | 賀茂真淵没 御用人田沼意次が老中格になる |
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| 1771 | 明和8 | 1月21日 鳥居坂上、戸川内膳邸より出火、永坂、十番、古川より高輪まで延焼 藩政改革に着手した米沢藩主上杉鷹山が、儒学者細井平洲を招く |
杉田玄白解体新書の翻訳を開始 | |
| 1772 | 安永1 | 2月29日 目黒行人坂大円寺より出火し、麻布、廓内、京橋、日本橋、神田、本郷、下谷、浅草寺を延焼した。 行人坂大火 ・一本松焼失 |
目黒行人坂の大円寺出火。明暦の大火以来の大火事 田沼意次、老中に就任 |
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| 1773 | 安永2 | 米沢藩主上杉鷹山の改革に旧臣ら反発 |
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| 1774 | 安永3 | 前野良沢・杉田玄白らが解体新書を刊行する |
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| 1775 | 安永4 | 長久保赤水が日本輿地路程全図を完成させる |
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| 1776 | 安永5 | 平賀源内がエレキテルを制作する |
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| 1777 | 安永6 | 11月29日 谷町より出火、市兵衛町・永坂・狸穴・十番を焼く |
幕府が、村々からの出稼ぎ人を制限する触れを出す | |
| 1778 | 安永7 | 11月32日 麻布新堀光林寺亥位牌堂より出火、飛び火にて白金御殿跡、青木坂青木縫殿下屋敷焼失 |
幕府が盲人および処士らの高利貸しを禁じる | |
| 1779 | 安永8 | 平賀源内が獄死 |
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| 1782 | 天明2 | 幕府の天文台が浅草へ移転。 |
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| 1783 | 天明3 | 12月16日 宮村町表長屋より出火、日ヶ窪にて鎮火 |
与謝蕪村没 天明の大飢饉。各地で打ち壊し 浅間山大噴火。上野吾妻群鎌原村が埋まる。 天明の大飢饉 7月8日 浅間山の噴火 |
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| 1784 | 天明4 | 1月3日 青山、麻布辺りで大火 3月23日 麻布桜田町より出火、同町専称寺表門にて鎮火 11月30日 麻布今井町裏長屋より出火、赤坂一ツ木にて鎮火 12月4日 麻布にて火事 12月28日 赤坂より出火、麻布永坂辺まで焼く |
志賀島で田んぼから金印発見 新番士佐野善左衛門が、江戸城中で田沼意次の長男で若年寄の田沼意知を刃傷 |
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| 1785 | 天明5 | 根岸鎮衛がこの頃耳嚢を書き始める | 稲葉小僧が、江戸市中引廻しのうえ、小塚原で獄門となる | |
| 1786 | 天明6 | 10月22日 麻布龍土町表長屋より出火、五十間ほど焼く |
田沼意次、老中解任 江戸の窮民が蜂起し、米商を襲撃する |
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| 1787 | 天明7 | 家斉 | 5月 天明の打ちこわしで麻布豪商堀木も襲われる |
天明の打ちこわし、全国に広がる 松平定信、老中に就任。寛政の改革に着手 長谷川平蔵宣以、火付盗賊改方長官に就任 |
| 1788 | 天明8 | 鳥居坂稲荷が「天明の大飢饉」の終結と豊作を祈願して創建 |
京都・四条宮川町から出火、大火事となる(天明の大火) |
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| 1789 | 寛政1 | 布屋太兵衛が麻布永坂に更科蕎麦を開店 1月11日 麻布南日ヶ窪町裏町屋より出火、永坂まで延焼 11月6日 麻布本村町にて火事 扇箱の秘密 |
奢侈禁止令。贅沢品目を指定し、製造・販売を禁止 |
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| 1790 | 寛政2 | 3月17日市兵衛町平七は、家主の平七は、借地人伊勢屋惣右衛門への多年の親切に対して、御褒美として白銀五枚を下賜された。 | 幕府異学を禁ず(寛政異学の禁)。 | |
| 1792 | 寛政4 | 7月21日 笄橋小十人久松忠次郎組・神谷藤次郎居宅より出火、龍土・今井谷・赤坂・青山、番町・小石川近辺まで焼失。この火事により幕府は29日、屋敷類焼の1000石以上の旗本に手当金を出す。火事の原因は神谷藤次郎居宅の下女が子供を遊ばせるため線香で障子の紙に火をつけ大火となったという。この下女は遠島処分となった。 2月25日、今井寺町藤助は、家持孫八の召使藤助は主人に対しての忠義の厚さから、褒美として白銀五枚を賜った |
林子平『海国兵談』発禁 小林一茶が江戸をたって西国行脚の旅におもむく |
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| 1793 | 寛政5 | 11月13日 藪下大隈山より出火、白金遊行寺まで延焼 |
松平定信、突然老中を解任される 高山彦九郎が久留米で自殺 |
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| 1794 | 寛政6 | 1月15日 芋洗坂より出火、日ヶ窪、一本松、雑色より古川町まで延焼 1月19日 飯倉より出火赤羽根橋際まで延焼 この頃、芝で日雇いなどの仕事をして暮らしていた男が急死し、墓の中で蘇生する |
水野忠邦が誕生 | |
| 1795 | 寛政7 | 1月14日 麻布御箪笥町より出火 |
長谷川平蔵宣以没。50歳 | |
| 1796 | 寛政8 | 笄橋の杉田五郎三郎という大御番の屋敷にある稲荷が、良くかなうと江戸の評判になる 麻布に住む寄り合い(3千石以上、旗本1万石以下で無役の者)家臣の娘が孕んだ子供が腹の中で言葉を発する |
英国船が日本沿岸測量の途中、室蘭で薪水の供給を受ける |
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| 1797 | 寛政9 | 幕府が翌年から新暦寛政暦の採用を発表する |
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| 1798 | 寛政10 | 11月11日根岸鎮衛、江戸南町奉行となる | 本居宣長、古事記伝を完成 品川に鯨が迷い込む |
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| 1799 | 寛政11 | 3月10日 麻布古川小普請組屋敷より出火 |
近藤重蔵が蝦夷地を再び探検 | |
| 1800 | 寛政12 | 伊能忠敬が蝦夷測量に出発 伊藤若冲没 |
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| 1801 | 享和1 | 本居宣長没 |
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| 1802 | 享和2 | 1月1日 永坂より出火、十番、雑色、古川まで延焼 1月13日 坂下町より出火、雑色町全焼 |
十辺舎一九の「浮世道中膝栗毛(東海道中膝栗毛)」初編刊行 |
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| 1803 | 享和3 | 3月3日 三屋谷より出火、谷町まで焼失 |
幕府が、鹿児島藩主島津斉宣に琉球から薬品を輸入することを禁じる | |
| 1804 | 文化1 | 8月19日 永代橋が崩落し麻布町民も罹災 この頃、宮村町宗英屋敷に当主「鬼宗英」が住む |
ロシア使節レザノフが長崎に来航。通商を要求する 出羽で大地震。象潟(きさかた)湖が隆起して陸地となる |
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| 1805 | 文化2 | 2月 町火消しの「め組」と江戸相撲の力士たちとの乱闘事件が芝神明宮でおこる |
ロシア船来航に備え、幕府が沿岸諸大名に警戒を命じる 加藤千蔭、万葉集略解を将軍に献上 |
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| 1806 | 文化3 | 3月4日 文化の大火・丙寅の大火・芝車町火事。芝車町泉岳寺より出火、浅草まで延焼。増上寺五重塔焼失 麻布被害は不明 |
文化の撫恤(ぶじゅつ)令、薪炭給与令、出される |
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| 1807 | 文化4 | 11月14日 土器町より出火、赤羽橋まで延焼 この頃、麻布・井上志摩守の家の仲間(ちゅうげん)が神隠しにあう |
ロシア船が来航。択捉島を襲撃する アメリカ船が長崎に来航、薪と水を要求する ロシア船が礼文島沖で商船を襲う。 ロシア船が利尻島に侵入、幕府船を炎上させる 幕府がロシア船の打ち払いを命じる |
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| 1808 | 文化5 | 有馬藩赤羽屋敷に水天宮を祭る |
水戸藩が海岸に番所を建て、砲台を築く イギリス軍艦が長崎港に入港し、薪と水を要求 |
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| 1809 | 文化6 | 上田秋成没 |
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| 1810 | 文化7 | 10月19日 麻布宮下町より出火、久保町辺まで延焼 |
木食上人没 |
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| 1811 | 文化8 | 2月11日 市谷念仏坂より出火、四谷・赤坂・麻布・西荻窪まで焼失 焼失戸数2万 死者500人 4月26日、桜田町に住む九歳の少年寅吉は、両親への孝養により根岸肥前守より鳥目十貫文を下賜された |
ロシア艦長ゴローニンが国後島で捕らえられる |
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| 1812 | 文化9 | 廻船業者高田屋嘉兵衛が国後沖でロシア船に捕らえられる |
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| 1813 | 文化10 | 高田屋嘉兵衛とゴローニンの交換が行われる |
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| 1814 | 文化11 | 10月8日 (南部邸)丑下刻麻布御下屋鋪観光院様御住居向御類焼 |
滝沢馬琴の南総里見八犬伝が刊行される |
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| 1815 | 文化12 | 根岸鎮衛6月加増により1000石の旗本になる。11月4日死去。18年間町奉行を勤め在職のまま死去。死の直前まで耳嚢を書き溜める。 |
杉田玄白が蘭学事始を著す |
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| 1817 | 文化14 | 虎ノ門金毘羅宮に参詣はじまる |
杉田玄白没 |
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| 1818 | 文政1 | 江戸朱引を決定 |
伊能忠敬没 イギリス人ゴードンが浦賀に来航。貿易を求める |
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| 1819 | 文政2 | 2月8日 飯倉6丁目から出火、築地にいたる |
老中になる阿部正弘誕生 | |
| 1821 | 文政4 | 1月18日 芝新網町より出火、大火となる 7月2日 麻布雑色町から出火、十番・永坂が焼ける がま池伝説 7月2日 麻布古川より始まった大火が文政4年(1821)7月2日、山崎邸を焼こうとしたとき、がま池から大蝦蟇が現れて口から水を吐き邸を守る |
江戸で風邪が流行する 日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」と「大日本沿海実測録」が完成し、幕府に献上 |
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| 1822 | 文政5 | この頃、麻布の寺で幽霊が夜な夜な物語りをしている声が聞こえる | 上杉鷹山没 品川に鯨が迷い込む |
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| 1823 | 文政6 | 1月12日 麻布古川より出火、品川八ツ山へ飛び火 5月21日、飯倉新町ゑつは、夫への貞節をもって、町奉行榊原主計より鳥目七貫文を褒賜された |
勝海舟、誕生 大田蜀山人没 江戸に大風と津波が襲う |
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| 1825 | 文政8 | 文政8年12月22日、飯倉四丁目喜八店印判職人馬之助の倅金之助15歳は、幼年の身を以って父並びに祖父母への孝養から筒井伊賀守から鳥目5貫文を賞賜された。 | 幕府が諸大名に異国船打払令を出す |
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| 1827 | 文政10 | 9月18日 1827年(文政10年)9月18日夜から麻布、赤坂、芝などを中心に寺に忍び込み、見ず知らずの墓石や石塔を勝手に磨いたり、洗ったりして廻ると言う何とも不可解な犯罪が続発した |
頼山陽が日本外史を完成させ、松平定信に贈呈する |
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| 1828 | 文政11 | 帰国するシーボルト、取り調べられる 酒井抱一没 |
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| 1829 | 文政12 | 4月6日 永坂より出火、飯倉片町・谷町・赤坂溜池まで焼亡 |
3月21日 江戸・己丑の大火 |
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| 1830 | 天保1 | 水戸藩主徳川斉昭が藩政改革に着手 |
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| 1832 | 天保3 | 青山で野菜立ち売り紛争、精米業者、米流通で対立 |
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| 1835 | 天保6 | 7月27日 桜田町の喜八が嫁の実家(青物横丁)で借金を断られたのに腹を立ててそばにあった尺八で舅の頭を強打。舅は後日死亡。 |
田能村竹田没 |
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| 1836 | 天保7 | 1833年に始まった天保の大飢饉、一層深刻化 天保の大飢饉 |
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| 1837 | 天保8 | 家慶 | 5月5日 麻布龍土材木町残らず焼失する 9月 大蔵庄衛門の稲荷再建 |
大塩平八郎の乱 モリソン号事件 |
| 1838 | 天保9 | 5月13日 笄橋の堀田備中守の下屋敷で堀田家隠居様付きの医師「元進」が行方不明になり8日後に死体となって屋敷内から発見される。これを狐狸の仕業と考えた主人の備中守は領国千葉佐倉から猟師を呼び屋敷内で6匹の狐と1匹の狸を退治 |
大隈重信誕生 初代・三遊亭圓生没 緒方洪庵が大坂に適塾を開く 山県有朋誕生 塩漬けにされていた大塩平八郎の遺体が引回しのうえ、磔とされる |
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| 1839 | 天保10 | 藪下の岡場所が久留米藩士により取り壊される 12月31日 四谷の湯屋より出火、龍土・笄橋へんまで延焼 |
水戸藩主徳川斉昭が将軍家慶に意見書を提出 蛮社の獄 |
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| 1840 | 天保11 | 1月25日 麻布広尾南部坂付近で火事 |
国学者平田篤胤が著作禁止と江戸からの退去を命ぜられる |
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| 1841 | 天保12 | 11代将軍家斉没 老中水野忠邦が天保改革令を出す 代官江川太郎左衛門が韮山で鉄砲を鋳造する |
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| 1842 | 天保13 | 佐久間象山、海防八策を進上 |
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| 1843 | 天保14 | 水戸藩で神仏分離を断行。神道中心の政策を取る 平田篤胤没 老中水野忠邦罷免 |
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| 1844 | 弘化1 | 天保15年12月26日、麻布狸穴町儒業者、服部南郭の倅で浪人の眞蔵は家業精励をもって、銀20枚を下賜された。 | 水野忠邦がふたたび老中首座に就任 幕府が徳川斉昭と藤田東湖に謹慎を命じる(5月6日) オランダ国王、開国を促す |
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| 1845 | 弘化2 | 麻布で鶏の頭のようなとうもろこしの実ができて評判を呼び国芳が錦絵にする 1月24日 青山より出火、龍土・麻布・新堀を経て高輪で鎮火 青山火事、 がま池伝説 青山火事にて広尾稲荷社殿焼失 |
水野忠邦、病気を理由に老中を罷免される |
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| 1846 | 弘化3 | 勝 麟太郎、赤坂に移転 |
アメリカ東インド艦隊が浦賀に来航、通商を求める |
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| 1847 | 弘化4 | 青山火事にて焼失した広尾稲荷社殿に神明造りの拝殿と土蔵造の社殿が再建される | 徳川斉昭の子、慶喜が一橋家を継ぐ |
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| 1848 | 嘉永1 | 調所笑左衛門広郷、芝藩邸にて急死 | 滝沢馬琴没 |
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| 1849 | 嘉永2 | 乃木希典、麻布萩藩邸で生まれる |
江川太郎左衛門が韮山に反射炉を造る 葛飾北斎没 |
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| 1850 | 嘉永3 | 高野長英、青山で自決 2月22日 森元町より出火、飯倉・赤羽橋まで延焼 |
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| 1851 | 嘉永4 | ジョン万次郎、アメリカ船に送られ琉球に着く 国定忠治が大戸関所で磔の刑に処せられる 品川に鯨が迷い込む |
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| 1852 | 嘉永5 | 大森に大筒稽古場が完成し、試射のさい麻布まで震撼する |
薩摩藩がフランス式騎兵隊を編成する |
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| 1853 | 嘉永6 | 家定 | 10月23日 軍家定との婚儀のため1853年(嘉永6年)8月21日薩摩を出立した篤姫は近衛邸に参殿、京・宇治を見物した後、同月6日伏見を発ち、40里(約1700キロ)、2か月の旅ののち10月23日江戸に到着。芝の薩摩藩邸上屋敷(現在のNEC本社のあたり)に入った |
ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航。 12代将軍家慶没 勝海舟が海防意見書を幕府に提出 幕府が品川台場の築造を開始 ロシアのプチャーチンが長崎に再来。 |
| 1854 | 安政1 | ペリーが軍艦7隻で浦賀に来航。ついで江戸湾内に停泊する 日米和親条約調印 徳川斉昭が日米和親条約締結を不満として幕政参与を辞任 吉田松陰がアメリカ軍艦で密航を企てるが失敗。自首する。 日露和親条約調印 |
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| 1855 | 安政2 | 10月2日 安政の大地震による大火(麻布の被害は不明) 八丈島付近を震源とするM6.9の地震が発生。直後に江戸では多数の火災が発生、大きな火事となって死者は4000人となった。 |
薩摩藩が西洋式軍艦昇平丸の試運転を行う 幕府の海軍伝習所で伝習が始まる 10月2日 安政江戸大地震 |
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| 1856 | 安政3 | 11月11日 将軍家定との結婚のため、薩摩藩渋谷邸を出立した篤姫婚礼の行列は、麻布を通り江戸城に入る。先頭が江戸城に到着をしても末尾はまだ、薩摩藩渋谷藩邸にあった。 |
吉田松陰、松下村塾主宰を長州藩から許可される アメリカ総領事ハリスが来日。下田玉泉寺を領事館とする |
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| 1857 | 安政4 | 下田協約を締結 ハリスが将軍家定に謁見 |
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| 1858 | 安政5 | 家茂 | 11月12日 赤坂より出火、市兵衛町・飯倉片町・狸穴・麻布十番などが罹災 ハリス日米修好通商条約締結。条約締結後はアメリカ全権公使に昇任 |
井伊直弼が大老に就任 将軍継嗣問題で一橋家に謹慎を命じる 将軍家定没 薩摩藩主島津斉彬没 安政の大獄始まる 家定の後継を慶福(後の家茂)と発表 徳川家茂が征夷大将軍となる 西郷隆盛と僧月照が入水。救出された西郷は奄美大島に潜伏。 長州藩が吉田松陰を投獄。 |
| 1859 | 安政6 | 各国公使館麻布近辺に設置、8月赤羽橋に赤羽接偶所を開設< 6月8日 安政の大獄の嵐の中、安政6年6月8日からハリスは麻布山善福寺に滞在し、総領事から公使に昇格した事を幕府に通告。8月には公使館を麻布山善福寺に置いた 11月3日 麻布龍土町より出火、材木町・桜田町が焼ける |
徳川斉昭が国元蟄居、一橋慶喜が隠居謹慎になる 幕府が前土佐藩主山内豊信を謹慎にする |
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| 1860 | 万延1 | 1月7日 イギリス公使館通弁の伝吉東禅寺にて刺殺される−安政7年正月7日(1860年)墓は光林寺 12月5日 アメリカ公使通訳ヒュ−スケンが1860年(万延元年)12月5日深夜に赤羽橋接遇所からの帰途、中の橋附近で襲撃され翌6日0時30分善福寺アメリカ公使館にて死亡 12月8日 5日に襲撃されたヒュースケンの葬儀が万延元年(1860年)12月8日13:00から光林寺で行われた。 |
勝海舟らが咸臨丸でアメリカに出発する 桜田門外の変 徳川斉昭没 一橋慶喜、松平慶永、山内豊信らの謹慎が解かれる アメリカ通弁官ヒュースケンが、薩摩藩士に惨殺される 日普(プロシア)修好通商条約調印 |
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| 1861 | 文久1 | 5月28日 水戸浪人らが東禅寺襲撃 赤羽橋接遇所が5月11日(1861年)から10月16日まで再来日したシ−ボルト父子の宿所となる |
水戸藩浪士がイギリス仮公使館を襲撃(第1次東禅寺事件) 遣欧使節、竹内保徳、福沢諭吉らがヨーロッパに出発 |
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| 1862 | 文久2 | 2月20日 市兵衛町より出火、坂江町延焼 3月28日 東禅寺警固の士が代理公使を襲撃 4月20日 麻布龍土町松平大膳大夫中屋敷出火 アメリカの外交方針変更により全権公使ハリス解任される |
将軍家茂と和宮の婚儀が行われる 土佐藩参政吉田東洋が暗殺される 松本藩士伊東軍兵衛がイギリス公使館内でイギリス水兵を死傷させる 一橋慶喜が将軍後見職となる 松平慶永が政事総裁職となる 岩倉具視らが朝廷により処罰される 生麦事件 高杉晋作らが品川に新築中のイギリス公使館を焼く 会津藩主松平容保が京都守護職に任命される |
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| 1863 | 文久3 | 4月7日麻布山善福寺が浪士により襲われる 4月7日 麻布山善福寺異人館台所より出火、太鼓堂にて鎮火 ハリスの後任プリュイン公使在任中、原因不明の出火(攘夷の志士による放火説も?)によって善福寺のアメリカ公使館が焼失する。プリュインは、やむなく江戸を引揚げる。 4月13日清川八郎、一ノ橋で佐々木唯三郎ら6名の刺客により暗殺される。 6月3日 芝永井町より出火、飯倉片町などが罹災 西ノ丸炎上 |
将軍家茂が上洛、二条城に入る 幕府が上京中の清川八郎らに帰国を命じる。 芹沢鴨・近藤勇らが京都守護職に属し、新選組を名乗る 将軍家茂が攘夷実行期日を孝明天皇に約束する 長州藩が、下関を通過するアメリカ商船を砲撃する 伊藤博文・井上馨ら長州藩士がイギリス留学のため密出国する 姉小路公知暗殺される 長州藩が高杉晋作に騎兵隊の新設を命じる 将軍家茂が江戸へ向けて出港する 薩摩藩がイギリス艦隊7隻と戦う(薩英戦争) 薩摩・会津両藩が尊壌派を京都から追放する 追放された三条実美ら7卿が長州に下る 土佐藩が武市瑞山らを投獄する 平野国臣らが生野で挙兵する(生野の変) 朝廷が一橋慶喜・松平慶永らに朝議参与を命じる |
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| 1864 | 元治1 | 3月28日 麻布辺火事 8月8日 長州征伐で麻布竜土町の長州萩藩邸取り壊し 12月19日 麻布桜田町火事 |
将軍家茂が再び上洛 天狗党の乱 幕府が勝海舟を頭取に神戸に海軍操練所を設置する 新選組が、池田屋で尊壌派を襲撃(池田屋騒動) 函館に五稜郭が完成する 佐久間象山が尊壌派に暗殺される 蛤御門の変 幕府が第1次長州討伐 下関戦争 幕府が下関事件賠償に関する約定に調印 高杉晋作が下関を襲撃する |
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| 1865 | 慶応1 | 高杉晋作らが挙兵し、下関を占拠する 長州藩主毛利敬親が保守派を退け討幕を藩論とする 坂本竜馬が亀山社中を結成 土佐藩が武市瑞山を処刑 西郷隆盛と坂本竜馬・中岡慎太郎が会見。 将軍家茂が4国との条約勅許と兵庫開国を朝廷に願い出る 孝明天皇が条約を勅許。兵庫開港は不許可。 西郷隆盛が兵を率いて上洛。 |
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| 1866 | 慶応2 | 慶喜 | 米価高騰により麻布、芝、赤坂でも打ちこわし(5/28)。 白金清正公門前に牝ライオンの見世物(1月)。 |
薩摩藩邸で坂本竜馬らの斡旋で木戸孝允と西郷隆盛が薩長同盟を密約 大久保利通が長州征伐への薩摩藩出兵拒否の書を老中に提出 幕府の軍艦が長州藩領の海岸を砲撃する 将軍家茂が大阪城中で病死 一橋慶喜が徳川家宗家を相続することを発表 徳川慶喜が第15代征夷大将軍となる 孝明天皇没 |
| 1867 | 慶応3 | 2月15日 暁丑刻麻布雑色綿打職人金五郎の家より出火して宮下町、新網町代地、十番焼込、永坂町光照寺門前、飯倉新町、其外武家地等焼る、長二町四十間、巾平均五十三間程なり 12月25日 幕命の庄内藩ら諸藩により三田の薩摩藩江戸上屋敷が焼討ちされる。 戦死十二名、降伏四十二名、生け捕り三十三名の戦果、生存者は品川鮫洲に待機していた輸送船で逃亡 |
睦仁親王(明治天皇)が即位 将軍慶喜が英・仏・蘭の代表に兵庫の開港を約束 高杉晋作没 土佐藩が亀山社中を海援隊として配下に入れる 板垣退助・中岡慎太郎らが、西郷隆盛らと討幕挙兵を密約 後藤象二郎・坂本竜馬・西郷隆盛・大久保利通らが大政奉還の盟約を結ぶ 坂本竜馬が船中八策を後藤象二郎に示す 中岡慎太郎が陸援隊を結成 山内豊信が大政奉還の建白書を幕府に提出 長州藩・薩摩藩に討幕の密勅が出る 薩摩藩主島津忠義が兵を率いて京都へ出発 坂本竜馬・中岡慎太郎が近江屋で暗殺される 朝廷が王政復古の大号令を出す |
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| 1868 | 明治1 | 1月12日 山内氏の支藩、麻布支藩(新田藩)麻布山内氏藩主山内豊福が麻布新堀町藩邸にて自害 3月13日 薩摩藩高輪屋敷(柘榴坂)で勝海舟と西郷隆盛第1回目の会談 3月14日 勝海舟と西郷隆盛が前日に引き続き2回目の最終会談のを薩摩藩蔵屋敷(芝)でおこなう。 これにより15日に予定されていた江戸総攻撃は中止された。なを、上屋敷は焼き討ちされていたため倉屋敷が使われた |
鳥羽・伏見で薩長軍と旧幕府軍が戦う 旧幕臣が彰義隊を組織。上野を占拠する 西郷隆盛と勝海舟が江戸開城について会見する 天皇が五箇条の御誓文を誓う 新政府が神仏分離令を出す 江戸を東京と改める 榎本武揚が艦船8隻を率い品川から出帆。 会津若松城が新政府軍に包囲される。(会津戦争) 明治天皇即位の礼が行われる 明治と改元され、一世一元の制が定められる 榎本武揚が函館五稜郭を占領する 徳川慶喜が江戸城を出て、上野寛永寺に謹慎、ついで水戸へ退去。 |
