
![]() | 1.逆さいちょう |
![]() | 2.七色椿 |
![]() | 3.がま池 |
![]() | 4.六本木 |
![]() | 5.古川の狸ばやし |
![]() | 6.狸穴(まみあな) |
![]() | 7.俄善坊(がぜんぼう) |
![]() | 8.その他 |
![]() | 9.本所七不思議 |
1. 逆さ いちょう
麻布山善福寺にある樹齢750年の大木。親鸞上人が立てた杖が、 そのまま地に生えてやがて大木となり、その形から逆さ銀杏とも、その成り立ちから御杖銀杏とも呼ばれ、 天然記念物に指定されている。今でもかなり大きいが、戦災の前は3倍位あったそうな。
2.七色椿
暗闇坂を登り氷川神社方面の右手に、七色の大輪の花をつけ、枝を四方に張り咲き乱れた東京でも有数の椿の銘木が あったそうだが、戦前に枯死してしまったらしい。 現ベネズエラ大使館内。
3.がま池
宮村町の奥にあった200坪ほどの池。マンション建設の話が出た時、 外人も反対していたのを覚えている。伝説の中の幾つかを紹介。江戸時代後期(文政年間)、このあたりに山崎主税助という五千石の旗本の屋敷があり、この池の主の大がまが、よく座敷の菓子をたべにきていた。 文政4年古川橋から出火した火がこのあたりまで延焼してきた時、この大がまが水を吹き付けて屋敷を守り、菓子の礼をしたそうな。
別説-1
池の主の大きな蝦蟇が夜中に、見廻りをしていた仲間(ちゅうげん)を池に引きずり込んで殺してしまった。主人の主税助はお気に入りの仲間を殺された事に大いに腹を立て、池の水を掻い出して蝦蟇を退治しようとした。しかし主税助がその晩寝床につくと、枕元に仙人のような老人が現れ「我は永年池に住む蝦蟇であるが、あの仲間は蛙が生まれる度に殺してしまうので仕方なく子の仇をとったのである。だからどうか池の水を掻い出すのは止めて頂きたい。もし願いを聞いてくれるならば以後このような事は二度としない。 そして、当家に火難が降りかかった時は、我の神通力をもって必ず屋敷を守るであろう。」と告げた。
主税助は夢から覚めると今の夢を半信半疑ながら、蝦蟇退治を中止することに決めた。しばらくたった弘化二年の大火の折にこの辺り一帯も猛火に包まれた。そしてこの屋敷にも火が廻ろうとした時、池から大きな蝦蟇が現れて池の水を巻き上げ屋敷一面に吹き付けた。これによって付近は総て焼失したにもかかわらず、山崎家の屋敷だけは難をのがれた。
この噂が世間に広まり、主税助は「上」と書かれた防火のお札(後には火傷のお札)を側用人であった清水家に作らせ「上(じょう)の字様」と呼ぶと、国中から注文が殺到したと言われる。これは当時の大名などがアルバイトとしての収入を得ようとしたもので、芝の金毘羅宮、赤羽橋の水天宮と同様である。
屋敷は明治になると渡辺国武(大蔵大臣)の所有になったが、お札の販売権?は清水家が継続して任された。清水家は維新後に東町に住む事になったために、本来お札は、がま池の水を八月の決まった日に汲みそれを種に「上」の字を書くのだが、その池が他家の所有となって 使用出来なくなってしまった為に、家の近所の井戸水を使用したと言われる。また清水家の御子息は帝大を卒業し銀行の幹部となったが、 早世した。この帝大時代の学資は「上の字様」からの収益だったと書かれた本もある。 その後昭和になると、末広神社(現麻布十番稲荷)が授与するようになり、現在も続いている。
別説-2
享保の頃この池の辺に人の良い裕福な百姓が住んでいた。ある日、池に面した座敷でうたた寝をしていると、1匹の蛙が現れて、近いうちに江戸に大火があるが、私がいるからこの辺は大丈夫だ。火事でやけどをした人たちには焼灰をこの水で練ってつければ必ず治る。という夢を見た。不思議に思っていると、二日ほどして赤坂から発した火事は北風に煽られて大火となり、このあたりも火の海になった。すると池から濛々と水蒸気が立ち昇り池の周囲は、一軒も燃えなかったので、人々はがま池の徳を感謝した。 先日の夢を思い出した主人は、焼け跡の灰を池の水を清めて練りやけどをした人たちに無料で施した。するとたちまち全快したので江戸中の評判となり遠方からも求めにくるようになったと言われる
別説-3
ある夏の夕暮れ、山崎主税助の屋敷に来客があって、池に面した縁側で茶を飲みながら話をしていると、置いてある菓子が夕闇の中を池の方に飛んでゆく。不思議に思って菓子が飛んでゆく方を見ると池の中に大きな蝦蟇がいて、菓子を吸っていた。主人の主税助はひどく立腹して明日は池を替え、乾かしてしまうと告げた。するとその晩主税助の枕もとに蝦蟇がやってきて「助けてくれれば、火事の折にはきっと恩返しをするから」と許しを請うた。しかし主税助は、もっと世間の為になる事をするならば助けようと言うと蝦蟇は主税助に火傷のまじないを教え、それが上の字信仰となった。
私も小さい頃よく釣りをしたり、池の端の木でクワガタを捕まえたりした。特にクワガタを捕まえるのは明け方が多かったので、薄暗い池の端に行くのは、とても恐かった。 現在はマンションになってしまったが、裏に池が残っている。追記
伝説の「がま」が山崎邸に現れたのは麻布区史によると文政4年(1821年)4月2日との事であるが、このように日付まではっきりさせているのは、「上(じょう)の字」信仰の効能を強調するにあたり、その過程で詳細な話が出来ていったとの事。ちなみに屋敷の主山崎主税助は、備中成羽を領する大名の分家で明暦3年、家が無嗣断絶となりその後交代寄合として存続する。
屋敷は現在の本光寺と境を接し、西町インタ−ナショナルスク−ル、安藤記念協会を含んだ広大な敷地であり 安政年間から明治にいたるまで11396坪を有した。それ以降昭和初期までは池の広さが約500坪ほどもあった。また池は、明治35年の「新選東京名所図会」にも登場し、その幽玄さが記されている。 しかし、昭和初期頃から開発が進み一帯が分譲地となり、池も埋め立てられて、その周囲も石垣などで囲まれ景観を失っていった。
※関連記事
がま池1999.7.25
むかし、むかし7−114.がま池アップアップ
麻布動画劇場(がま池動画)
むかし、むかし8−126.「麻布新堀竹谷町」のがま池
むかし、むかし8−127.「麻布本村町」のがま池
むかし、むかし9−147.「六本木随筆のがま池」のがま池
小さな池の大きなカエル
4.六本木おそらく麻布で一番有名な地名。繁華街で私も昔ここの喫茶店でバイトしていたがそれよりも、地元の人にとって六本木といえば”電車”である。麻布で唯一の電車、日比谷線が通っている。家からは15分くらいかかったがそれでも最寄り駅であった。ちなみに私は今、品川のとある駅から2分の所に住んでいる。遅刻は激減した。
芋洗坂、市三(いちみ)坂を登った高台にある。昔5本の榎(えのき)が高くそびえ、品川沖からもよく見えたので漁師の道しるべ となっていた。六本木なのになぜ五本?。ものの本によると、昔このあたりは、武蔵野の雑木林で大木が生い茂げるジャングルのようであった。 平安末期、源氏に追われた平家の落ち武者が6人落ちのびてきた。このあたりまで来るともはや力が尽きてしまったので、榎の幼木を墓標がわりに植えて切腹し相果てた。 しかしその中の一人は、希望を棄てずさらに刀を杖に一本松までさまよったが、ついに力尽きてあとを追った。あたりの村人はこの武者を憐れみ、5本の榎に一本の松をいれて六本木として弔った。そしてこのあたりを六本木と言うようになった。
今でも落ち武者のような髪をした若者が行き交っているが、あれはもしかしたら.....
別説に
・江戸六方の男伊達がこのあたりに住んでいたので、六方気からいつのまにか六本木になった。
・竜土町に六本の古木の松があったので付いた。
・この辺りに上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳などの大名屋敷があった為。
などもある。
5.古川の狸ばやし麻布の丘と三田台の谷間に流れる古川も昔は清流だったそうだ。土手には花が咲き乱れ実にすばらしい眺めであり、戦前は泳ぐこともできたそうな。
江戸の頃、このあたり秋になるとすすきやはぎが咲き、月の出る頃になると 川からたぬき囃子が聞こえて、江戸の評判になったそうな。私の子供の頃には, もはやどぶ川になっていたので、さだかではない。ちなみに先日一の橋を渡っていると、はらつつみを打てそうなデブ猫が歩いていた。
6.狸穴(まみあな)現在の東麻布、麻布台辺の地名。江戸の頃永坂、森元、赤羽、飯倉の辺には、馬場があった。ここで売られた乗馬用の袴を十番袴と称していたので,麻布十番と言う地名になったと伝えられている。 このあたりの坂は勾配が急で、竹林に覆われていた。うっかり迷い込むと出られなくなるほどの竹薮だったそうだ。水戸の黄門様も迷ったらしい。また古洞があり、狸穴の古洞と呼ばれているらしい。
昔たぬきが住んでいたと言われれば、”あり”な地形ではある。
7.我善坊(がぜんぼう)昔この辺り(現在の麻布台1丁目近辺)に古寺があり、ここのお坊さんの名が我善坊と言った。顔がとても恐かったが気が優しくて、近所の子供たちに慕われていたそうだ。ちょうど良寛さんのようであったので有名になり、七不思議の一つの数えられるようになったらしい。
8.その他この他にもいろいろな麻布七不思議があるようで、
明治34年「東京風俗誌」では、
1.善福寺の逆さ銀杏
2.一本松のお松様
3.六本木の六本木
4.柳の井戸
5.東町の鷹石
6.永坂の脚気石
7.狸穴の狸蕎麦
また、 大正7年「東都新繁昌記」によると、
1.狸穴の婚礼
2.大黒坂の猫又
3.我善坊の大鼠
4.古川の狸蕎麦
5.谷町の遊女屋敷
6.二本松の赤子
7.白金御殿の一本足
昭和16年麻布区史では郷土研究家の中山狐村氏が
1.善福寺の逆さ銀杏
2.六本木
3.かなめ石
4.釜なし横丁
5.狸穴の古洞
6.秋月の羽衣松
7.広尾の送り囃子
と定義している。
関連記事( 番外麻布七不思議、 むかし,むかし)
9.本所七不思議1.足洗い屋敷
人が寝静まった頃、天井から大きな足が現れ、足を洗えと言う。家人が洗えば何事も起こらないが、洗わないと地鳴り震動の大暴れをする。
2.狸囃子
月夜の晩に狸囃子が聞こえるが、音を聞いて近づくと、また遥か遠くに聞こえる。
3.片葉の芦
留蔵というならず者がお駒という娘に恋をしたが、相手にされなかったので或る夜お駒を誘い出し、片手を切り落として池に投げ込んだ。それ以降、この池に生える芦は片方だけしか葉がなかった。
4.無灯そば
夜更けに屋台の蕎麦屋の明かりが一つ灯っていた。近づいてみると誰もいない。いくら待っても屋台主も現れないが、いたずらなどをすると、祟りがある。
5.送り提灯
おぼろ月夜の晩に、ほろ酔いの武士が供の者と歩いていると、ぽつんと提灯の火が見えたが、不思議に思って 近づくと、また遠くにぽつんと提灯の火が見える。家に着くまで提灯の火はついてくる。
6.おいてけ堀
本所には昔、池や堀が点在していた。思わぬ大漁に気を良くして日暮れまでいると、堀の中から「おいてけ、おいてけ」と声がしてビクの中を見ると空っぽになっている。
7.送り拍子木
雨模様の夜道に、夜廻りが火の用心を叫びながら歩いていると、自分とは違う拍子木の音が、ずっと付いてくる。
-DEEP AZABU-